靖国神社の小堀邦夫宮司の退任が
各メディアに報じられた。同氏が12代目の宮司に就任されたのが今年の3月。4月10日に神社近くのホテルグランドパレスで「就任挨拶会」が開催された。この会には私も招かれ、新宮司と簡単に言葉を交わした事も覚えている。それからまだ半年ほどしか経っていない。まことに遺憾だ。内部の研究会とはいえ、あのような発言があったのなら、退任はやむを得ないだろう。靖国神社は「勅祭社」だ。約8万社あるとされる全国の神社の中で、伊勢の神宮を別格として、天皇陛下の特使である「勅使」が定期的に差遣される勅祭社は、僅かに16社のみ。靖国神社はその栄光ある1社。しかも、靖国神社だけは、毎年、春秋2度に亘って勅使のご参向を仰いでいる。その点では、毎年、3回も勅使のご差遣を戴く神宮に次ぐ、厚遇を受けている。陛下が靖国神社にお寄せになる格別のお気持ちは、何よりもこの事実に歴然と示されている。靖国神社の宮司であれば、その厳粛な事実に、どれだけ感謝しても、し足りないはずだ。ましてや、陛下はあらゆる困難を乗り越えられて、靖国神社に祀られる英霊が戦い倒れた国内外の戦跡に、「慰霊の旅」を繰り返して下さっている。それを英霊達がどれほど喜んでおられるか。それすら想像できないようでは、英霊への祭祀もただの形式だけに堕してしまいかねない。昭和天皇の靖国神社への行幸が、昭和50年11月を最後に、その後は中断してしまった理由については、以前、拙文を認めた(『WiLL』平成26年12月号)。くれぐれも誤解をしてはならないのは、靖国神社へのお出ましは、陛下お1人だけのお気持ちで可能になる事柄ではない、という事実だ。それは天皇のご行為の3分類のうち、「その他の行為」に該当する。但し事柄の重大さから、他の殆どのケースとは違い、宮内庁レベルを越えて、内閣の同意と責任による事が前提となる。安倍政権では中国の顔色を窺って、首相が靖国神社に近付かないばかりか、閣僚の参拝すら、もう2年連続でゼロという惨憺たる有り様。そんな情けない状態を、保守系知識人の多くは見て見ないふりをし続けている。多数の国民もそのまま見逃している。率直に言って、こんな条件下で、天皇陛下のご親拝が可能になるとは、残念ながら到底考えられない。靖国神社ご当局が天皇陛下のご親拝を待ち望むのは当然だ。それは靖国神社に祀られる英霊達の願いであり、何よりも天皇陛下ご自身のご念願でもあると考えられるからだ。しかし、その為には、それを実現し得る環境を十分に整えるのが先決だ、という事を知らねばならない。その際、靖国神社が既に(!)天皇陛下からどれだけ厚くお気持ちを掛けて戴いているか、その事実への深い感謝を改めて肝に銘じるべきだ。来年は靖国神社ご創建150年という大切な節目の年に当たる。靖国神社が速やかに社内の体制を立て直し、
立派に再出発される事を願う。